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自分の言葉から自由ですか?

ぼくは時々こんなことを言われます
「なんでそんなに自由に過ごせるの?」
「なんで君は自分の世界を持てているの?」
 
この手の相手は大抵、こちらのことではなく自分の話を聞いて欲しいのでしょう。マジレスするとクソだるいので、今すぐNバックでも背負ってせっせと現代文の勉強でもしたらどうか、とかいつも思って「さあー」と答えています。こんな風に思っていることから1つ繋がったことがあるので、今日はそれを綴ろうと思います。
 
彼らの使う「自由」とは何なのでしょうか?おそらくそれはリードから完全に切り離されることではなく、牧場の柵が少し広がることを意味するのではないでしょうか?リードから切り離せれるというのは社会との繋がりを断つということです以前のぼくはそれと柵の存在を少し混同させていましたが、その話はまた別の機会にしましょう。
 

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それならば、彼らの使う「牧場」の広さとはなんなのか?おそらくそれは今の自分のいる「世界」の広さです。そして、その「世界」とは「価値観」のことではないでしょうか。皆さんこんな経験はないでしょうか。初めて自転車に乗って自分の知らない場所へと進んだ時に、「自由」のようなものを感じたこと。初めてアブノーマルな性のあり方やフェチズムを知った時に、「自由」のようなものを感じたこと。
 
ぼくらの思う「自由」とは「世界」の広がりであって、身近なそれは「価値観」の広がりなのだと思います。自転車によって可動範囲の限界を超えた先を知ることは、現実の世界の広がりでありそれまでの「遠い」という価値観をぶち壊すもの。他の性のあり方を聞くことによってそれらの性的嗜好を知ることは、興奮の対象の広がりでありそれまでの「エロい」という価値観をぶち壊すもの
 
つまりは、それまでの価値観が広がりのあるものであることを知ることが、一種の「自由」と言えると思うのです。そこで彼らの言葉を借りて「自由」になるために何をするのかを書いていきます。
 
もったいぶらずに話すと、それは単純に
・辞書を読む
・自分よりイかれてる人のエピソードを知る
この2つです。
 
まずは1つ目の「辞書を読む」について。言語というのは世界を誰かと共有するために、その一部を切り取り、時間をかけて伝達するのに適した形に整えられたものだと思っています。これは言語研究者でも書籍をなぞったわけでもない僕が、勝手に感じていることだけですけども。
 
例えばこの記事
ニューヨークにいるお金持ちの人たちは、多くが親のスネをかじりまくって生活しているわけですが、
日本人の私たちの感覚からすると「いい歳して親の金で生活するなんてクソ野郎だ!」なんて思う人が多いかと思います。
私もそう思っていました。
しかし、ここで多くのそういう人たちと接するようになって考え方が変わってきました。
 
お金のある元に生まれたのはある種の"Gift"のようなものだと思うようになりました。
Giftというのは意訳すると英語で、「生まれ持った才能」「(幸運なことに備わっていた)神からの贈り物」のようなニュアンスですが、
日本語でしっくりくる言葉が見当たりませんでした。
[お金のハナシ] 金持ち家庭に生まれた人が親のスネをかじりまくるのは恥ではない。
 
特に大事なのはここ
お金のある元に生まれたのはある種の"Gift"のようなものだと思うようになりました。
Giftというのは意訳すると英語で、「生まれ持った才能」
 
言ってしまえば、何かにおいての才能と生まれた環境の良さをわけて考える元凶は「才能」という言葉のイメージのせいな訳です。それらのうちの半分を世界から「才能」という型枠で切り取ってしまったからいけない訳です。もし才能という言葉がなく、仮に「運が良い」という言葉しかこの世になかったのだとしたら、この感覚もなかったでしょう。ただ今更、日本から「才能」という型枠を消し去ろうするなら治安当局でも作って言論統制するとか、もっといい言葉を発明して流行語にするとかそれくらいしかないんじゃなのかな。
 
ただ、この著者のように"Gift"という言葉を知ることで、これからぼくらは生まれの運の良さについて疎ましさを感じることはなくなった訳です。つまり僕らは言葉に縛られているのと同時に、その縛りから言葉を使って自由になることもできるのではないのだろうかと思うのです。それに最適な方法が「辞書を読むこと」なのです。
 
仮に今日ぼくが知った言葉はこちらです。
・なぶりもの
・鍋墨
・生齧り
・生侍
・生半尺 etc.
 
ちなみに電子辞書だと「語尾検索」ができます。例えば〇〇肌で検索すると、
・勇み肌
・姉御肌
・鮫肌 etc.
というようにいつもなら意味を察して飛ばすような言葉にも、巡り会える訳です。1日に1ページでも良いので、めくって眺めていたら1つはよく知らない言葉があるはずです。ぼくは、それがいつか誰かを自由にする扉のようなものだと思っています。
 
長くなったので今日はここらで店じまいといたします。最後まで読んでいただきありがとうございました。感想・ディスなどありましたら伝えてくださると大変嬉しいです。
 

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MY VELAのスタンス。

こんばんは。

 

今日はブログのスタンスについて綴っていきます。

 

1つは「端的に」

長いブログってなんだか肩がこるんですよね。普通に本を読むような構えになるので、Pocket行きになってしまうんですよ。

なので、MY VELAでは2スクロールで終え、1分以内で読み終えられるものを提供していきます。

 

もう1つは「体験をもとに」

それとぼくタレブが好きなんですよ。彼の言葉の中でも「アドバイスには経験とリスクがなければダメだ」というものに強く共感しています。

なので、このブログでは未経験なことは一切綴りません。全ては体験と実感のもとにやっていきます。

 

最後は「気軽に」

あとWIREDの記事の感じが好きなんです。ざっと簡潔なニュース記事と、多くの情報と洞察がまとまった長くも濃い記事の二種類があるのが。

なので、主な記事は前者で。Twitterでの呟きとライトコンテンツの間くらいを目安にしていきます。たまに後者も書いていきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

「ゆるゆるとキレキレ」前編

こんばんは。

 

実はぼく精神科に通っていました。

 

唐突に何を言い出すのかと思った方がいらっしゃるかもしれませんね。

最近「炎上」ってのを感じる瞬間が増えてきました。人の「失敗」を喜ぶ世の中とも言えるんじゃないかとすら思えます。なので、ぼくの「失敗」を発掘される前に明かしてしまおう、と思いこの話をします。

 

当時、ぼくはそれが精神科だと知らなかったのです。

母から「頭痛の病院だから」とだけ伝えられ、三ヶ月に一度くらいのペースで通っていました。確かにぼくは偏頭痛持ちで、それで学校を相当休みました。でも頭痛だから学校に行かなかったのではないんです。

なにが楽しくて生きているのかわからなくなってしまったんです。

臭いですがこれがリアルな高校生みやびの感覚でした。別記事でも心地悪いふわついた感覚について綴りましたが、それの絶頂期が高校時代でした。

それで夜中まで起きて、爆音とイヤホンで現実から逃避して、朝まで起きてる友達とSNSでクソみたいな会話をして、こじれてました。もちろん身体的にも、精神的にも腐ってました。正直な話、去年までそれはどんどんひどくなりながら続いていました。

 

前置きが長くなったのでこの記事は『「ゆるゆるとキレキレ」0』とします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

漫画家とそれとの「距離」第一回 : なるための手段

こんばんは。

 

漫画好きな方多いですよね。作家さんも最近多くなってきました。

今日は漫画と漫画家になりたいぼくの距離について綴っていきます。

 

ぼくはすごい人になりたかったんです。

それも中高生からとかじゃなく、幼稚園生になる前から。ニュースでたくさん騒がれてるから総理大臣になりたい!とかノーベル賞受賞者になってみたい!とか...。とにかくすごかったらなんでもよかったんです。

でも周りにはすごい人なんて一人もいなかった。親も先生もすごいと思えなかった。だからそのうち、変な人がすごい人なのだと思い始めていました。

そんなある日、「バクマン。」と出会いました。これだ!と思いました。漫画を作ってる人は変だし!すごい!て。

 

ぼくは漫画が好きで漫画家になろうと思ってはいません。

すごい人になる手段として漫画を選んだのです。

でもいつになっても書かなかったんです。 今更ですが原作担当をしていました。自分で絵を描かないってのも相まって抽象的な考えを巡らすことに夢中になっていたんでしょうね。

 

なんとなく自我を感じた時からあった、心地悪いふわついた感覚が拭える希望の船でした。去年はそれを自分で沈没させかけてしまったのですが...

 

長くなってしまったので連載ものに切り替えます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

MY VELAをやる理由。

このブログメディアをなんのためにやっていくか、それを綴ります。

 

これは「脳内をほどくため」です。

 

ぼくは大変なおしゃべりです。

自己中に話していいと言われれば、嫌われるほど話し続けられるほど。

ただおしゃべりが好きというよりかは、「考えが止まらないことと、それを出し続ける中毒感」「声を出すことと、酸欠のようになることの楽しさ」が好きです。

自分の考えを自覚する機会が好きなのかもしれません。

 

また、ぼくは友人を多く持ちません。

親友が5人ほどいて、彼らとは気ままに合うことが多いです。そんな貴重な友人との時間を、自分の脳内をほどく第一地点にしたくないなとも思ってきました。

そこで、ここに書きとめようと思った次第です。

 

noteに書いた

そこで、自分の意見を鋭く・太くするためにブログを開設しました。

ブログ、始めます。|みやび|note

 

このフレーズはいつまでも持つ心意気なので、批判・感想は宝物として扱うつもりです。お待ちしています。自分の考えをほどいて、毎日の船出の足がかりにしていこうと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

MY VELAの由来。

どうでもいいことなので読まなくてもいい記事です。

 

ブログタイトル"MY VELA"の由来についてです。

 

船出をスペイン語でVELA

アカウントがMYV

Vが被ったのでMYVELA

 

見辛いのでMY VELAとしたら、"ぼくの船出"てたまたまカッコよくなっちゃいました。

言語混じってるのは見逃してください。

 

それだけの記事です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

「夢と現実」

みやびです。

 

いくつかの媒体で記事を書いていましたが、シンプルなはてなブログに落ち着くことにしました。

 

初タイトルは「夢と現実」

臭いですね。中二ですね。これは『バクマン。』の一話のタイトルです。

ぼくはこの漫画に生きる希望をもらいました。熱狂するものを見つけさせてもらいました。

 

去年ぼくは様々なところで失敗をしました。インターン、一人暮らし、人間関係。

熱狂し夢見てればいいのだと、恐怖を無視すればいいのだと思い、やりたい放題したら失敗しました。そこで初めていろいろな現実に気づきました。熱狂は今と向き合うものだと、恐怖は脇に置いておくものだと。

 

去年のぼくは無意味な背伸びをしていたのです。見栄を張っていたとも言えます。そこでこのブログでは「夢と現実」を意識し、その中間にある目標を自然体で見つめるような考えを綴っていきたいと思います。

 

次回のタイトルは「ゆるゆるとキレキレ」です。

なお、noteのマガジンは継続します。最後まで読んでいただきありがとうございました。